大野校区とは


大野地域は、香東川の扇状地に位置し、ゆたかな土壌と温暖な気候に恵まれ、
かつてはホタルも飛び交い、四季を通じて農業を営む田園地帯でした。
近年は宅地が急拡大、新規居住者も増え、新たなまちづくりが進行しています。

大野地域は、香東川の扇状地に位置し、ゆたかな土壌と温暖な気候に恵まれ、かつてはホタルも飛び交い、四季を通じて農業を営む田園地帯でした。近年は宅地が急拡大、新規居住者も増え、新たなまちづくりが進行しています。

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大野史跡めぐりガイド

 大野小学校
明治20年大野尋常小学校が誕生する。校舎の完成は明治25年現在地に。その後校地の拡大等が行われ現在に至。昭和29年に城荒神から移植されたソテツがある。
 長井出水
江戸時代から利用され、昭和14年に深掘りされた出水である。 現在も豊富で良質な湧水があり鯉や小魚の姿が見られる。
 春光庵
7世紀に建立、その後焼失していたものを12世紀に再建、 現在の建物は1700年頃と伝えられる。
蒙古襲来の折や流行病の都度祈願した。 
 大野北城跡
14世紀、佃教氏が築く。南北127m、東西93m。 墓所 (城荒神) が残る。
 合水道道標
2基あり、うち1基は1876年と彫られている。仏生山方面から西に向かう「金毘羅道」。ここ合水道から香東川に下りれば潜水橋となっており対岸の川部へ渡れる。 
 竹林出水
香東川堤防の東側に掘られ、川の伏流水が流れ出ており、数量が豊か。夏はホタルが楽しめる。
 鶴宮
昔(天保年間)飛来した大鶴が死んだのを可哀そうに思い祠を作ったと言われてきた。香川中央高校が建設されることとなり発掘したところ言い伝え通り鶴の骨がでてきた。現在地に移転。
 大禹謨の石碑
江戸時代の初め、西嶋八兵衛が香東川改修工事の際に建立したもの。大正元年に掘り出された。現在実物は栗林公園に。実物があった位置には模刻が設置されている。
 下口の上井出水
出水の位置は、江戸時代の初めに西嶋八兵衛によって堰き止められる前の香東川の東の河道にあたる。
 船岡山古墳
1基は全長44mの前方後円墳。もう1基は不明。高松市教育委員会等が発掘調査。前方後円墳は、高松平野南西部では最大。
 雪元の金毘羅灯籠
1810年多くの人たちの寄付によって建立される。灯籠前の東西道路が金毘羅道。道路の向かい側にあった金毘羅道標は現在は東隣の安徳寺の庭にある。
 平等院
明治8年〜明治25年まで平等院本堂を校舎として小学校教育が行われた。
 大野石清水八幡神社
創建は12世紀と伝えられている。 現在の社殿は明治39年建立。大野地区の神社として春祭り、秋季例大祭を6つの頭組が年ごとに順番に担当して実施し、今も賑わっている。 
 牛の墓
かつて牛は農家の宝であった。亡くなった牛の霊をまつる為に墓を建てた。 大野地区に5カ所あるが、臼井の牛の墓は明治6年に建てられた高さ約2mの自然石。
 大野南城跡春日神社
12世紀、大野有高が築く。遺構は未確認。一族の墓石、大野氏ゆかりの春日神社と城神社の二つのが残る。

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